POPポップぽっぷ

ツイッターのタイムラインを死にたいって言葉で埋めるために、病んだ女の子とかを沢山フォローしたところで、タイムラインは案外平和なもので、お腹すいた だとか ねむい だとか日常がそこにあって、死にたいなんて思ってる時間は一瞬でしかなかった。
タイムラインの死にたいの一言が日常に挟まれているのが、人生なんだなぁ。

薄暗い部屋でビタミンウォーターに手を伸ばして蓋を開けるぼくは、確かに生きていた。
三浦さんの執拗な腕の傷が長袖に隠されているのが現実であるように、死ぬことと一緒で生きるのも逆らいようのない事実なんだ。

なんて詩を書いたところで、ぼくは引きこもり。
恥ずかしげもなく詩を書いて、ネットに晒して、滑稽に毎日を浪費していく。自称詩人のぼくを近所のババアが蔑んだ目でみる。
死なねーかなとおもった。そこに殺意もないくせに。

処刑台に立たされて、はや何年経ったっけ。
足場を蹴る勇気ないだけでしょ。って中学生に言われちゃって自虐気味に笑うぼくは、不気味だ。

今日も元気に何かを批判するインターネットの一部になったぼくは、今日も元気にどっかで聞いた他人の意見を我が物顔で謳うだけ。
女子大生がためらい傷だらけの左腕をブログにあげるだけの毎日の裏、日常が渦巻いて、足をとられて、こけた。

すりむいた肘は、ちょっぴり痛いよなぁ。

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