やさしさ倶楽部の前編

僕は定位置に座り、ウサギの置き物をブラブラと揺らしながら、手足のない子どもたちが無邪気に砂場で遊んでいるのをボケーッと眺めていたら、隣のパンダの置物がガタンと揺れたので、視線をつすと八王子くんが血走った眼で僕を見つめていた。

「うわっ、いつからそこにいたんだよ」

「一時間ぐらい前から」
やけに低い声で、八王子くんはそう言った。

「え、気持ち悪い。いつから見てた?」

「一時間ぐらい前から」
さっきと変わらないトーンでそう呟く。

手足のない子どもが一人倒れ、砂山に顔を埋めた。

「気持ちわりぃよ。なんだよ」

「雨野さんこそ相変わらず気持ち悪いですね。口から腐った卵みたいな臭いがするので、こっち向かないでください」

「えっ、そんな臭いする?うそ歯磨いたのに」
僕は口に手を当て、ハァーと息を吐いて確認した瞬間、顔を歪める。

手足のない子どもがまた一人倒れ、砂山に顔を埋めた。

「うわ、ほんとだ。だからさっきコンビニの店員あんな辛酸ベロッベロッ舐めてるみたいな顔してたのか」

「最低ですね、雨野さん」
無表情で血走った眼をギョロギョロさせながら、一々僕の心を引っ掻いた。

「ところでお前なにしてんの、ひま?」

「暇じゃなきゃ雨野さんなんて金もらっても眺めてませんよ」

「一々失礼だな死ね。じゃあ飯食いに行かね?」

「いいですよ。八王子に美味しいラーメン屋があるんです。割引券があるんで行きましょう」
八王子くんにしては珍しく好意的な返答で、僕は一瞬ギョッとしたが素直にそこに行くことにした。

駅に向かう途中、ポチ公とまーちゃんが生ゴミを漁っていたので声をかけようと思ったが、体臭が僕の口より臭かったので、やめた。

電車の中には女子高生がちらほらといたので、公園の時のようにボケーッと眺めていたが、何故かホームレスのまーちゃんのほうが僕には女子高生に見えた。
八王子くんは財布を開き大量の割引券を漁っているが、半分か期限切れだったらしく舌打ちをしてぐしゃぐしゃに丸める。
血走った眼を窓の外へと向け、景色を眺める八王子くんの姿はどう見ても変人で、女子高生たちが八王子くんを見てこそこそと何かを楽しそうに喋っていた。

まもなく西八王子、西八王子です。忘れ物のないようお気をつけください。

僕たちは電車を降りて、口にくわえたままだった切符を改札に通す。
八王子くんは足早にラーメン屋の方向へと向かっていくので、僕は何歩か後ろを追っていった。

3分ほどでラーメン屋に着き、扉を開けると他に客は一人もいない。
八王子くんは慣れた感じで「チャーシュー麺ふたつ」とだけ言い、割引券をスッとカウンターに置き、そのまま座った。
左腕に包帯を巻いた店主が無表情でそれを受け取り「チャーシュー麺二丁!」と勢い良く言ったが、この店は彼一人だ。

「なぁ、お前って家族いるの?」

そう質問すると八王子は右上に視線を向け、少し間を開けてから「なんですか突然。気持ち悪い。いますよ」と嫌悪感を隠しもせず、視線を僕に向けないままそう言った。

「いるんだ?意外だな」

「雨野さんとは違ってまともですから」

僕は「お前のどこがまともなんだよ」と少し笑いながら言ったが、八王子くんは無表情のままだった。
そこで少し間ができたが、その間を埋めるかのようにチャーシュー麺がふたつ置かれた。
僕は麺を啜り、はねた濃いスープがシャツについたことに少し食欲が失せた。

「どんな家族?」

「普通ですよ。どこにでもあるような、ごくごく一般的な中流家庭です」
そう言った八王子くんの表情は、僅かだが曇っているように見えた。

「ふーん?」
僕は興味なさそうにそう呟いたが、それ以上聞いていいものなのか少し迷っていた。

すると八王子くんが箸を置き、目蓋をゆっくりとおろし、ため息をついた。

「二時間ぐらい前、弟が死にましたけどね。元から病弱だったので健康には気を使っていたらしいですけど、普通にトラックに跳ねられて死にました。八王子ナンバーだったそうです」

八王子くんは目蓋をおろしたままそう言って、八王子軍団と書かれたハチマキをほどき「少し、八王子が嫌いになりそうだ」と誰にも聞き取れないような小さな声で呟いた。

僕は無言のままチャーシューを咀嚼し、飲み込んだあと、スープを飲み干した。

「ふーん」
僕はさっきと変わらない相槌を繰り返し、これ以上は言葉を続けるのをやめた。

八王子くんはチャーシュー麺を残したまま1000円をカウンターに置き「ご馳走様」と言って店を後にした。

僕はひとり店に残り、ボケーッと壁に書かれたメニューに止まった蝿を眺めていた。
特に何を考えるわけでもなく、時間だけがのそのそと地を這って行く。

30分ほど経って僕もご馳走様と呟き、店を出た。
外はもうオレンヂ色に変わっていて、寂れた商店街をトボトボと数人が歩いている。
僕は何も感じないまま、そのまま家に帰った。

帰り道にもまーちゃんとポチ公が生ゴミを漁る姿を見かけたので「まーちゃん、女子高生だね」と声をかけた。
するとまーちゃんはこちらに振り向き首を傾げたが、すぐにいつもの笑顔になり「青ちゃん!」と元気よく言って僕にピースサインを向ける。
するとポチ公もこちらを振り向き「おい、雨野。八王子くん、あいつなんかあったのか?」と聞いてきたが、僕は「さぁ、知らない」とだけ言った。

「はぁ、二人だけの秘密ってやつか?気持ちわりぃな」
ポチ公はそう言ってまた尻尾を振りながら生ゴミ漁りに戻った。

僕は残りの帰り道、久しぶりにニヤついた表情をやめ、俯きながら、やさしさ倶楽部のテーマ曲を口ずさみながら歩いた。

あなたと~わたしの~
うっふっふふふ~ん

やさしさぁー
やさしさぁー
やさしさぁーくらぶぅ

やさしさやさしさやさしさやさしさ
やさしさ倶楽部

小石を蹴っ飛ばそうとしたけど、うまく蹴れなくてチョロチョロと転がった。
僕は顔を上げて、進むべき道を眺める。
またいつものニヤついた表情に戻り、一歩前へと進む。
ガリッと何かを踏んで、小石が靴の裏に、挟まって、消えた。
世間は沈黙を貫いたまま、じーっと僕を睨んでいる。
ような気がした。

続く

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