俺は同じような趣味の人間が集まったりするのは楽しいだけで何も生み出せないと思っていて、有名な駄サイクルなんて造語があるけど、まさにその通りだと思う。
今はインターネットが普及して駄サイクルがあらゆるところに発生していて、そのサイクルの中をぐるぐる回り続けて死んでいった才能が絶対あると思う。
ひたすらにお互いを褒めあって、磨かれるはずだったセンスがブヨブヨのまま溶けてなくなる。
よくその駄サイクルの中でコラボだとか抜かして共同制作をすることがあるけど、俺はコラボっていうのは他の畑とするものだと思っていて、同じコミュニティの同じジャンルの同じ趣味の人間でやってもそれは自分達のライングループで完結すべきものだと思うし、たいていクソつまらない。
だけど、そのサイクルの中に終始する限り「くそつまんねぇんだよ死ね」って言ってくれる人がいない訳で、それに気付けず僅か数人の身内同士でアーティスト気取りでちんこパンパンに腫らしてるわけだよ。気持ちわりぃ。
本当に心底そう思うけど、駄サイクルの依存性の高さは半端じゃない。だから自称アーティスト自称クリエイターの皆々様方は、孤独に生きましょう。
休み時間机に突っ伏してた経験の無い奴にクリエイティブ出来るわけないんだよ。
誰も俺に話しかけないでくれ。
クソつまんない合同誌の話とか持ちかけるのは止めてくれ。
ホントマジで断るの辛いんだからな。
止めろ。全員死ね。
俺はお前らの誘惑には負けない。
今日も生産性ゼロの詩を一人で書いて、一人で読むんだ。邪魔すんな。
六畳間にひたすら引きこもって一人で孤独に孤独に血反吐こぼしながらするのがクリエイティブなんだよ
だけど
本当は真夜中になるとどうにもやり切れないほどに寂しくなって、空虚の真ん中に自分がいる気がして死ぬほど辛くなる
血反吐を指先でなぞって「たすけて」と血文字で書いたりする。そんな詩を書いてしまって、情けなくなる。
暗い暗い場所にいればいるほど、みんなが楽しそうに笑ってる場所は眩しくて、嫌悪から憧れにシフトしていったりして
血も涙もおんなじ成分だってことを思い出しながら、また詩を書く。
サイクルの外で
誰も読まない詩を書く
もうこんなこと無意味な日々を
10年近く続けています
誰か俺を殺してください
よろしくおねがいします。