今までの人生の過ちを清算したくてもがいた結果、過ちを更に上塗りし続けてきたような気がする。どこで人生を間違えたの?って聞かれたら、明確な日付があるわけではなく、お湯が気付いたら冷えてるように、いつの間にかいろんなものがおかしくなっていた。
蛙を適温の水に入れてじわじわと温度をあげてくと、生存できない温度になっても逃げないで、そのまま茹だって死んでしまうらしいんだけど、じつは俺は今そういう状況にいて、気付いたら手遅れになっているのだろうか。致命傷に気付かず笑って生きてるような、やんわりとした不快感が頭のなかにゆっくりと広がっていって、後戻りできないくらいに壊れてしまったものを、大切に握りしめてるような惨めさがずっと付きまとっている。おかしくなったふりしてへらへら笑って生きていても、ほんとうはとてもふつうで、ありふれた悲哀がだれかと同じように刺さって、目に見えないなにかがとても痛む、ような気がする。気のせいかも。

まどろっこしい文章になってしまったけど、人生はままならないってことが言いたくて、利己的になりたい自分と、どこかで人間らしさがある自分がだるいっていう話です。人格者や偽善をつい気取ってしまって、ペラッペラッのメッキが死ぬほど邪魔で息苦しい。もうむりだ!と逃げ出そうとして、どこに逃げればいいのかわからなくなる。しあわせになりたいけど、しあわせってなんだかよくわからないし、好きな人と好きなことを好きなときにして、好きなように生きたいけど、それは誰もがむりなやつじゃんってなる。俺のことを好きって言ってくれる人たちを好きになれたらいいなって思う。でも俺はその人たちのことぜんぜん好きじゃないし、そもそも本当は俺のことをどう思ってるかぜんぜんわかんないし、酔いが醒めるまででもいいから俺は好きな人と好きなように生きたい。先のことなんて何も知らないし、後悔なんてあとですりゃいいし、今だけを面白おかしく暮らしたいよ。
それでも、何かを壊そうと腕を振り下ろしたとき、目をつむっちゃうんだよ。死ね

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