いつもの話

生活には目的が必要だとひしひしと感じる。

今の労働環境を永遠だと思うととても続けられないが、目的を持つことでギリギリ留まっている。

以前は何かに向かって歩いているつもりが、ただその場で足踏みしていただけという感覚があった。止まってしまえば楽になれる予感はあったが、同時に止まってしまえば何かが終わってしまう気がした。

前進してることを明確にできる目的がとても大事。分かりやすく数字や環境に現れるものが良い。

この方向が正しいのかはなんど考えてもまったくわからないけど、得てして生活とはそういうものなんだとおもう。

決まった時間に薬を飲み、やるべきタスクをただこなしていくだけの毎日に、どんな期待をして生きていけばマシになれるのか、という話。

23時になれば、職場を目指し、ただ暴力的に冷たい風に吹かれて歩く。暗闇の中の木々が揺らめくような音に目を向けたところで、朝になるまではその中に何があるのかは見えない。いつまでも朝がやってこないなら、とにかく明るい方に向かって歩いてみたり、直接触れてみるしかない。

基本的にいつも、どうすればもっとマシに生きられるかを考えているけど、どんな方法も実践してみないと正しいのかわからない。確信をもって行動したときほど落胆は大きい。

生きてきた日数だけ、幸せになることに失敗してきた。本来の大きな目的は幸せになることで、手段と目的の境界をあいまいにしてしまっていた気もする。

今回こそは、と歩く。それがなんだったのかわかったら、また何かを探しに行けばいい。それぐらいの気持ちでいないと、よけいな期待に、また勝手に裏切られてしまいそうでつらい。

本当に大切なものほどそばにある、なんてよく言うけど、自覚できていないなら、それはそもそも大切にしてはいない。失ってから気付くことには失ってから気付けばいい。多くの人がそうであったとして、果たして自分も当てはまるのか?しっかりと疑っていきましょう。

街灯がちかちかしている。エモくなっては次の瞬間にどうでもよくなる。じぶんが変わらなくても世界は変わるし、じぶんが変わったところで、根本的にはなにも変わらないのかもしれない。生活はたいへんです。らびたんがんばえ~

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